私的な愛を叫ぼうじゃないか

関ジャニ∞のことばかり考えてしまっています。

居場所

副題は「わたしから見た自担」です。
 
※十祭DVDの内容に触れます
※あくまで私の妄想です
 

 

卒論を書き終わりました。
内容は…
90年代頭くらいに価値観の崩壊が起きて、多くの若者は拠りどころを失った。
しかし、若者はそれぞれの好きなもののファンやオタクになることで、居場所を確保した。その中でも、アイドルが選ばれているのはなぜ、がメインテーマでした。
 


書き終わって、十祭フラゲして、まずメイキングから見始めました。
最後の挨拶まで辿りつきました。

 

 

「僕がその、関ジャニ∞っていうグループの中に居場所を見つけられたように、皆さんにとって、関ジャニ∞っていうグループが落ち着ける場所だったり、何か帰ってきたくなるなって思えるグループになれるように」

 

 

びっくりしました。24日の挨拶でプライベートに触れたということは皆さんのレポを拝見して知っていましたが、その後の部分を見逃していたんです。
 
アイドルは私みたいな個人にとって居場所になりうると同時に、自担にとっても居場所だったんだって。そして、自担は自分たちがファンの居場所になりたいって思ってるんだなと思って。
 
いまも泣きそうです。
ありがとう、本当にありがとう。
あの日卒論を書き終えた時にこの挨拶を聞けて本当に嬉しかった。
この人と出会えて、今こうしてファンをしているのは運命だわと思いました。
重い、重すぎる。落ち着こう。
 
 
 
ここからは更なる妄言です。
 
 
 
自担という人は、どうも良くないイメージを持たれがちな人です。
わたしも見るたび、聞くたびにやめてくれよーと思うことがたくさんあります。
 
そのため、それこそプライベートな部分は一切気にしない。それは私が自担を好きという気持ちを向ける範囲に入らない。くらいの気持ちでいました。(好きな範囲に入るところでも、言いたいことはたくさんありますが)
 
それが、(知っている限りでは)ついに、私の好きな範囲の自担からあれも僕ですという宣言があったわけです。
 
実際、この言葉を言ったことによって、何か変化があったのかはわかりません。
これからまた何かあるかもしれません。
ただ、どうせ私の気持ちは変わりません。
許せないもんは許せないけど、でも好きなんだもん。

 

  
で、何かと言うと。試されているのかなと思ったんです。

これしてもいい?許してくれる?好きでいてくれる?

そうしなければ、自分を保てなかったのかもしれません。
 
「ドラマに出続けてくれた」、大倉くんはそう言ってました。
その言葉から見えるように、エースで、新規獲得のために入口で、きっとファンの入れ替わりも多かったのでしょう。
(知り合いのなかに、3人も元錦戸担がいるという経験からの推測ですが)
 
そのためだけに必要とされているのかな。俺って何で要るんだろう。
ずっとそう思ってたのかもしれないなって。

 

 
そんな自担の居場所になったのがエイトで、中でもまるちゃんなのかなと。
ここ最近の自担のまるちゃん好きっぷりは心配だったのですが、大丈夫そうかなと今は思ってます。
(にしても本当にバランスよく人と仲良くできないね…と思っている)
 

『いっこにこにこ』の歌詞にもそれはよく表れていて。
 

「昨日と同じ君を 笑わせてくれる君を

求めすぎてしまうから 無理をさせてるときに気づけず ほんとごめんね」

「自分勝手な僕だから それでも君を探すよ 

 今日は僕が君を笑わせる 隆平くんはどこどこ」
 
あぁ、これが即興で素直に出てくる言葉なんだなぁって。
自分を責めながら、でも人に甘えさせてもらって嬉しくて。
甘えさせてあげる人がいて良かったなぁと思って。
 


ここに来て、最初に自担の言葉に触れたときのことを思い出したんです。
自担が気になって検索して、ある時「関ジャニ∞名言集」というページを開きました。
 
自担の言葉で印象に残ってるのは、
関ジャニ∞を辞める時はジャニーズをやめる時」
「メンバーと一緒のお墓に入りたい」
の2つです。ソースもなかったのですが、小学生の私はそれをほぼ信じていました。
 
この人にとっての関ジャニ∞は、それくらい重いもんなんだろうなぁと当時から、そう思っていました。紆余曲折あっても、今もそこは変わっていないのかなと思います。原点回帰っていうのでしょうか。そこに戻れて純粋に良かったなと…私は思ってます。